世界史に残るような一年が間も無く過ぎようとしていますが、時間を感じるこの時期に時間というものを考察してみようと思います。
そもそも時間とは何でしょうか?一年が早いとか、時間を無駄にしたとか、光陰矢の如しなどと時間にまつわる諺や言い回しは多く存在しますが、科学的にも哲学的にも「時間」そのものの存在は非常に難問です。
メンターや心理学、哲学、宗教などでは時間は平等に等しく流れるものとされていますが、実際の現実では時間は空間と密接に関連していて固有のものとされています。つまり、あなたの流れる時間と私の流れる時間は別々で同時に何かを見ようとしても運動や重力の強さでそれぞれの見方が変わっていることが現代物理学では実証されています。その実例としてスマートフォンの位置情報に使われるGPS衛星の時間は地上より若干早く進むので定期的に時間補正をしています。補正をしないと1日で位置情報は数Km誤差が生じてしまうそうです。これはアインシュタインの一般相対性理論の予言通りなのですが、これについては後日解説してみたいと思います。
GPS衛星に搭載している時計は地球上で一番制度の高い原子時計でおよそ一億年に一秒ほどしか狂わない正確な時計です。
私達は時間というものを意識するのに「時計」を駆使しますが、時計の始まりは日時計で太陽の日照を利用した「一日」と。その日照が毎日ずれて元に戻るまでの期間を「一年」としたことから始まったのは想像できると思います。人間は日常に起こる事象を観察して周期的なことを発見しました。
科学史上の偉人であるガリレオガリレイは、教会の振子を自分の心臓の脈拍と比べて周期的であると発見したという逸話があるようですが、ここで皆さんに問いたいと思います。
等間隔な周期を測るのに何を持ってその周期が等間隔と証明できるのでしょうか?ガリレオガリレイは自分の鼓動を利用したとありますが、心臓の鼓動は微妙にずれることを私達は知っていますし、またそのズレは時計で測っていますが、その時計は果たして正確な時を刻んでいるのでしょうか?
私たちが周期的と認識している地球の公転も正確には365日ではなく閏年があったり、またもっと厳密に言えば地球は太陽から僅かづつですが、遠ざかっています。遥か未来には一年はもっと長くなっていることでしょう。
現在世界の時刻を決めているのは「セシウム原子時計」です。「一秒」は励起状態にしたセシウム原子が「9192631770回」振動した時間と定められています。これは1億年に1秒程の誤差しか生じない正確な「時計」とされていますが、それは本当でしょうか?
セシウム原子の振動数を数えて1秒としていますが、その振動の間隔は果たして「等しい」のでしょうか?
実はこの論議は「鶏が先か?卵が先か?」の例えと同じで堂々巡りになってしまいます。
私の知る限りこの問いに腑に落ちる回答を見たことがありません。私の勉強不足もあると思いますが、論理的に考えてなかなか答えが出ない難題のはずです。そもそも「時間」という物理的な実像があるのかも疑問です。私たちが感じている「現在」「過去」「未来」というのは幻想かも知れません。これについてもアインシュタインの理論の話になるので後日考察して見たいと思いますが、あまり深く掘りすぎると眠れなくなりそうなので今回はここで締めたいと思います(笑)