ネイティブなApple信者と後天的Apple信者

iPhone 12シリーズが発表されましたね。

Apple公式ウェブサイトより

おかしなタイトルですが、私はネイティブなApple信者ではありません。何故今更こんなことを書くのかと言うと、Appleに限らずその環境が当たり前に生活に根付いていると、その良さや恵まれていることに気づかずに「感謝」や「幸福」を感じないで過ごしてしまうと思ったからです。
日本という国が世界中の国の中でも恵まれているという話は何となく聞いたことはあると思いますが、それを実感している人は少ないと思います。何故なら、他の国で現地の悲惨な状況下の環境で暮らした人は少ないからです。私自身もそうです。身近に海外で暮らした知人、友人は口を揃えて日本に帰って来て、改めて日本の良さに気が付いたと言います。
話をAppleに戻します。私がApple製品を所有するようになったのは2011年です。初代iPodtouchでした。私は音楽が好きで外出先でも手軽に持ち運べるデバイスを探していて、少し、映画も観れるという触れ込みに魅力を感じ購入しました。その時点ではまだ信者というレベルの入れ込み感はなくWindowsで動く動作の重たいiTunesにストレスを感じながら使用していました。デバイス自体の満足度は高かったのですが、生活全般的な満足度はまだまだでした。

そんな私が信者になったとも言えるきっかけがiPhone5sの登場でした。契約していたキャリアがdocomoでiPhone対応したのが2013年9月で実はそれまではAndroid機を乗り継いでおりました。

iPhoneまでの歴代所有スマホ 右からSonyの初代Xperia SumsongのGalaxy2機種

Macデビューは2011年に既に果たしておりましたが、当初はiCloudの連携をよくわかっておらず、写真、スケジュール、電話帳、Todoリストなど、別々のデバイスで連携のないまま、別々のエコシステムで使用しておりました。
私よりApple歴の長いネィティブな信者からすると、それ「当たり前でしょ」というような機能美やデザイン性に気づかずに個別のAppleデバイスを触っておりました。

ところが、2013年9月のiPhone5s購入をきっかけにAppleのiCloudの機能アップも重なって、製品の使い勝手の統一感が増して、生活や仕事の効率が一変しました。一つの製品やエコシステムに集約するリスクはありますが、これほどまでにシンプルに簡単に、しかも美しく連携する機能美は見たことがなく、初めてAppleが目指す哲学を理解した気がしました。
私が何故これ程までにApple製品を有難がるのかというと、外様だったからだと思います。最初からこの環境に身を置いていたら良さに気づかずに「当たり前」で他の世界を体験せず、あるいは妙なプライドが身について触ろうともしなかったかも知れません。私が言う「ネィティブな信者」と言うのはこの傾向が強いのではないでしょうか?
私は中学生の時にサッカーを初めてましたが、同時に工学系の兄の影響で8bitパソコンでプログラムを作成して遊んでいたりしてました。
社会人になり、しばらく疎遠になっていたPCを仕事で使うようになり、デザイン、音楽系ではなかったのでWindows PCで中学生の時にはなかった性能差に驚いて、結構ギークな使い方をしてそれなりに楽しんではいました。
Appleユーザーを何処か「変わり者」扱いな目で見ており、距離を置いておりました(笑)

iPhone5sが信者のきっかけと言いましたが、私の「考え方」にも変化があり、それまで電子機器はマニアックにカスタマイズして遊ぶ「おもちゃ」であったのが、「生活に必要なもの」へと変化して、シンプルな思考(嗜好)へと変わっていく時でもありました。
電子機器に限らず生活用品や仕事道具もなるべく少なく、統一感のある者に変わって行きました。
なので私は「後天的な信者」なのです。現在のAppleのエコシステムやデザイン美を超える物が現れれば何の躊躇なしに乗り換えると思います(笑)

今日の格言
執着を手放せば楽になる 〜ヨガレッスンあるある〜

 

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